「グーグル」時代へ(〜現在)


 2002年,グーグルは検索連動型広告アドワーズ」のサービスを開始した。これは,広告主が予め入札しておいたキーワードが検索された場合,その検索結果画面にテキスト文字で構成された広告を表示するサービスである。


 この広告は表示されただけでは費用は発生せず,閲覧者によってクリックされた時にだけ課金される。また広告主による出稿の申し込みは入札形式となっており,同じキーワードに対して複数の入札があった場合,それぞれの上限入札金額と広告メッセージのクリック率などをもとに,グーグルが持つ独自のアルゴリズムによってその掲載順位が決定される。広告主はアドワーズによって,媒体接触者の関心がある領域に関する広告をより効率的に露出させることができるようになった。またテレビCMで検索キーワードを告知してWeb検索を促し,アドワーズで掲出した広告を経由して,キャンペーンWebサイトへ誘導するというキャンペーン手法が開発され,大流行となった。


 グーグルは,2004年にはコンテンツ連動型広告「アドセンス」をスタートさせ,アドワーズと合わせたこれら2つのサービスにより,従来マスメディア広告ビジネスの対象となり得なかった小口の広告ニーズを大量に発掘し,広告主,広告掲載媒体,双方の母数を激増させることとなった。検索連動型広告では他に「オーバーチュア」も人気を集め,急激な成長を遂げたこともあり,インターネット広告は再び成長期に入った。


 「日本の広告費」によると,2003年のわが国のインターネット広告媒体費は1,183億円(前年比140.0%),2004年は1,814億円(同153.3%),2005年2,808億円(同154.8%),2006年3,630億円(同129.3%),2007年4,591億円(同126.5%),2008年5,373億円(同117.0%)となり,広告制作費を含めた総額で,総広告費の10.4%を占めるに至ったことは,本稿の冒頭にて述べた通りである。


 また2006年からは,媒体接触者の接触履歴に基づいて最適と推定される広告を抽出し,露出する「行動ターゲティング広告」の配信がわが国でも始まった。



目次および出典

ITバブル崩壊後の展開(2001年〜)


 2001年のいわゆる「ITバブル崩壊」により,それまで毎年倍増の勢いで成長を続けてきたインターネット広告市場(媒体費)の伸びも,「日本の広告費」によると,2001年は前年比124.6%(735億円),2002年は115.0%(845億円)に留まり,その成長に急ブレーキがかかった。広告主は,インターネット広告に対して,その投入費用対効果を明確にすることができるレスポンス効果を求める傾向が一層強まっていくこととなった。


 矢野経済研究所は2001年に「ネット広告市場は1000億台でシャンクする!?」と題するレポートを発行した。1999年,2000年のインターネット広告市場の実態を検証した上で,その巻頭言で以下のように述べている。

 「ネット広告の効用には『インプレッション効果(伝達機能)』と『レスポンス効果(誘引効果)』というふたつのアドバンテージが存在します。しかしながら,広告主サイドの広告効果指標は『レスポンス効果』1点に集中しております。そして『早い・安い・曖昧ではない』というロジックに発展しています。あくまでも既存の4マス広告に比較しての見解でございます。従いましてクリックレート0.3%の現状はおかしい〜広告効果が見えない,というフローに落ち着きます。〔中略〕ネット広告が第5のマスになるには『インプレッション効果』〜ブランディングの付加が必要とされます。既存の4マスがそうでありますように。広告主サイドもこの効用を理解することを熱望します」[20]


 関連業界の当時の意識としては,市場全体がレスポンス効果へと傾斜していくことに対して危機感を強めていたことと,インターネット広告はディスプレイ型広告としての機能を強化することによって,マスメディア広告と肩を並べ得るものとなる,と考えていたことが明確に表れており,興味深い。


 同じ2001年に日本広告主協会Web広告研究会は,インプレッション(認知)とレスポンス(誘導)は独立した効果であり,それぞれに影響を与える要因が異なり,かつ効果促進のための施策が異なる,とする研究結果を発表した。実証実験を通じて,クリック効果は表現やセグメントが重要な要因である一方,認知効果は効率の良い媒体選択が表現よりも効果に直結すると主張した。また1997年度に同協会ディジタルメディア委員会が行った実験の報告において,「認知」と「クリック」効果を同一視し,効果全般をクリックに代表させていたのは誤りであったとした [21]。


 この時期の広告業界関係者は,ディスプレイ型広告としてのインターネット広告の認知獲得効果を積極的にアピールし続けるとともに,レスポンス効果は切り離した形で議論しようとする志向が明確になっている。


 またこの頃,「Yahoo! BB」や,「フレッツADSL」などのサービス提供が始まり,一般家庭にもインターネットへの常時接続環境が整い,ブロードバンド接続環境が急速に普及し始めた。安価にインターネットへ常時接続することが可能となったことで,インターネット利用者のWebサイトへの接触頻度は上がり,閲覧時間も長くなった。コンテンツも大容量化が進み,インターネットでの動画コンテンツの視聴が一般的なことになった。


 こうした環境の変化はインターネット広告にも影響を及ぼした。2002年にはBMW社がネットムービーを核とした広告キャンペーンでカンヌ国際広告賞のサイバー部門グランプリを獲得するなど,動画配信技術を活かした動画CMが次々に投入され,広告業界の注目を集めた。


 総務省によるわが国のインターネット利用者に対する2003年の調査では,パソコンから利用するインターネットの用途の第1位は電子メール(57.6%),次いで情報検索(57.4%),ニュース等の情報入手(48.7%),商品・サービス購入(36.8%)となっていた[22]。このように一般のインターネット利用者は,目的志向型の媒体利用スタイルであり,テレビ放送におけるCMとは異なり,閲覧者のアテンションを占有できないインターネット広告はディスプレイ型広告としての限界を露呈しているという指摘も強まっていった。


 新井範子らは2002年に著した「インターネットにおける情報個別提示の有効性」において,バナー広告を「従来のマスメディアの広告の構造をインターネット上に反映した」ものであると指摘した。そして,

 「バナー広告があったとしよう。しかし,いくらページが表示されていても〔中略〕テレビの画面一面に流れるCMとは違い,目的志向性が高く,積極的な情報検索をするWebにおいては,いくらページビューされたとしても,自分の興味のないものに対しては,クリック(誘導)どころか,目に入ること(認知)もないことは容易に想像できる」[23]


と述べている。したがって,偶然目にしたバナー広告に注意が払われることは少なく,動画ストリーミングなどのサービスに,娯楽のためにアクセスしたとしても,それは目的を持って積極的にアクセスしているので,同じことが言えるとしている[23]。


 このように従来のマスメディア広告とインターネット広告とでは,媒体接触者の利用スタイルが大きく異なる。したがって,広告と消費者との関係性も当然異なってくるということが,次第に認識されるようになり,従来の「マス・マーケティング」に対して,インターネットを活用した「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」を実践しようとする動きが盛んになった。


 Web広告研究会は,「Webマーケティング年鑑2003」の中で「メディア構造改革宣言」と題して,メディアはメッセージの伝達手段から,顧客との関係を築く手段になった,と述べ[24],新しい視点でのインターネット広告効果指標の標準化を求めているのも,こうした流れの上にあるものと言える。


 しかしこれも穿った見方をすれば,インターネット広告の実務界の人々が,従来の「インプレッションよりもレスポンス」というビジネス構造から脱して,自分たちが勝負しやすい別の新たな土俵を作ろうと苦心している,と解釈することもできる。


 一方,クリック保証型広告の流れは,より直接的な反応の把握と明確な費用対効果を要求する動きへと広がりをみせた。利用者がインターネット広告を経由した上で,リンク先のWebサイトで商品の購入や会員登録,資料請求を行うなどの成果があった場合にのみ課金される「成果報酬型広告」が登場するようになった。今日の実務では,このようにビジネス上の具体的な成果だけを報酬対象とする方式の広告を「成果報酬型広告」と呼び,「クリック保証型広告」とは区別することが多い。


 また広告を出稿する側が掲載媒体を指定するのではなく,一般のWebサイト運営者が,自分で選択した広告メッセージ付きのリンクを自らの媒体に掲載し,その広告を通じて商品購入などの成果が上がった場合に報酬を受け取るような「アフィリエイト・プログラム」も一定の利用者層を獲得した(6)。


 2004年に実施された総務省の調査では,わが国のインターネット利用者の93.5%が,情報検索や情報収集の最初の手段としてインターネットを利用すると回答した[25]。常時接続環境の普及もあってインターネットはこのように,利用者が具体的な目的を持った上で,「検索」によって求める情報を自ら探しにいくという能動的利用スタイルが一般的となった。広告配信側も,媒体接触者の行動にあわせて広告露出をコントロールすることで,その効率を上げることを志向するようになっていった。


 ECサイトの利用も日常化し,購買に近いタイミングにある消費者との接触が可能であるインターネット広告は,購買に直結するレスポンス広告であるという認識が大勢となり,インターネット広告は販売促進ツールとしての性格を強めていった。SP広告のひとつであるPOP(購買時点)広告は「消費者の購買時点である店頭,店内およびその付属施設に掲出されているあらゆる広告物である」[26]と定義され,店頭での銘柄選択と購買行動を促進するマーケティング活動であるが,インターネット広告もまさにこういった性格を持つと認識されるに至った。


 広告に関わる人たちのこのような認識の変化が,既存のマスメディア広告に対する費用対効果検証の動きを加速するなど,広告活動全体に大きな影響を与え始めた。


 こうした環境変化の中にあって,良い広告スペース,広告枠を確保し,そこにディスプレイ型広告を掲載,露出し,マス,大衆の認知を獲得することをその強みとしてきた,既存の大手広告代理店の動きは鈍かった。その点につき,前述した電通の長澤秀行は先に引用したビジネス雑誌のインタビューにおいて,以下の通り述べている。

 「成果報酬モデルについては,電通グループの戦略として,はっきり言って後れを取りました。テレビにしても新聞にしても,見ていようがいまいが,広告の露出に対して広告主さんからお金を頂ける。ところが成果報酬モデルは,露出してもクリックしなければお金を頂けない。今までのモデルを否定するところがあって,やっぱり積極的に入りづらかった」
 「でも,成果報酬広告のニーズは膨らみ,グーグルモデルは大成功しました。グーグルの立ち上がり期に様子を見ていたことは,『市場を作る』という電通のカルチャーに照らせば反省点。1人の電通マンとしては,早めに突っ込むべきだったなと思っています」[10]


 ここで名前の挙がった「グーグル」は,インターネット利用スタイルの変化と広告主の成果報酬志向に対応し,始めからディスプレイ型広告をビジネスの対象とせず,レスポンス広告に特化したサービスメニューを投入し,インターネット広告の世界観は一新された。

(6)わが国におけるアフェリエイト・プログラム市場規模は,2007年度に697.9億円に達しているとの分析もある。
(株式会社矢野経済研究所,『アフェリエイトサービス市場動向に関する調査結果 2008年版』(2008.1.31),
(http://www.yano.co.jp/press/press.php/330),2009年10月1日取得.)

  • 参考文献

[20]株式会社矢野経済研究所編:『ネット広告市場は1,000億円台でシャンクする!?』,「はじめに」, (2001).
[21]社団法人日本広告主協会 Web広告研究会編:『バナー広告効果実証実験報告書』,pp.100-103, (2001).
[22]総務省 情報通信政策局編:『平成15年 通信利用動向調査報告書 世帯編』,p.52, (2004).
[23]新井範子,北川和裕:『インターネットにおける情報個別提示の有効性 −オントロジーを用いた『意味』によるパーソナライゼーションの展開−』吉田秀雄記念事業財団,pp.14-17, (2003).
[24]社団法人日本広告主協会 Web広告研究会編:『Webマーケティング年鑑2003』インプレス,pp.12-15, (2003).
[25]総務省 情報通信政策局総合政策課情報通信経済室編:『ユビキタスネットワーク社会の国民生活に関する調査 報告書』,p.54, (2004).
[26]清水公一:『広告の理論と戦略(第14版)』創成社,p.191,(2005).
[10]日経BP編:『グーグルに負けない(第2特集 電通が挑むメディア総力戦)』,日経ビジネス,2007年5月14日号,pp.52-53, (2007).



目次および出典

2方向に分かれた対応


 これらの課題に対する対応は,大きく2つの方向に分かれた。


 ひとつは,技術の進化を反映した「リッチメディア」化によって,クリック率の向上を狙うという方向である。従来,画像や文字を用いていた広告表現に,動画や音声を加えることで表現力を高めたり,利用者のマウスの動きに応答するようなインタラクティブな広告が誕生したりして,それらは「リッチメディア広告」と呼ばれるようになった。


 それまでのバナー広告は静止画像1枚,あるいは複数の画像を順に表示するアニメーションgifを使った「パラパラマンガ」のようなクリエイティブが中心であった。1990年代後半,マクロメディア社によって開発された「フラッシュ(FLASH)」と呼ばれるソフトウェア群によって,Webサイト上でアニメーションや動画を扱うことが容易となる。こうした技術を取り入れ,マウスの動きによって拡大する「エクスパンド広告」,Webサイトの上を浮遊したり覆いかぶさるように展開したりする「フローティング広告」など視覚訴求を強めた新しい広告表現スタイルが次々と生まれ,より一層インターネット利用者の目を引く広告表現へと進化していった。同時に,より注目を集めるようにという狙いから,広告サイズの大型化が進んだ。


 これらの対応は,インターネット広告の代表格であるバナー広告はディスプレイ型広告であるとの認識のもとで,インプレッション効果を追求しようとして生まれ出た発想である。リッチメディア化,サイズの大型化を進め,ディスプレイ型広告としての機能を強化しようとした。まさしく従来型広告の思考の延長線上にある対応策である。


 2つめの方向は,成果報酬型の広告メニューの投入によって,インターネット利用者の少なさというデメリットを補おうとする流れである。インターネットのインタラクティブ性を活かした形で,掲載した広告が規定した一定回数クリックされるまで掲載を行う,あるいはクリック数に応じて料金が決定する,といったサービスを提供する「クリック保証型広告」が本格的に出現し始めた。


 わが国では98年にサイバーエージェント社が「サイバークリック」という名称でクリック保証型広告のサービスを開始したほか,バリュークリック・ジャパン,ダブルクリック,リクルート(ISIZE)なども同様のサービスを開始した。


 この動きは結果的に,インターネット広告の質的変化を決定的にするきっかけとなる出来事となった。「クリックさせる」ことが最優先の目的である広告,すなわち今までの「広告」の概念とは明らかに異なる新たなサービスが登場し,その姿が明確に立ち現れてきたのである。クリック数によって広告成果の把握が可能であるという段階を越え,クリック数という成果そのものを保証する「クリック保証型広告」を実現したインターネット広告では,従来型の広告ではとらえにくかった広告の費用対効果を明確に捕捉できる。


 こうした流れが,従来型の広告ビジネス,すなわち媒体の中に広告枠を確保するというビジネススタイルと,良い枠を押さえることが競争優位につながるという原理を,崩壊へと向かわせる第一歩となった。


 以上2つの対応の大きな違いは,前者は企業の広告費を獲得することをターゲットにしたビジネスであり続けたのに対し,後者は結果的に,よりパイの大きい,企業が持つ広義の販売促進費用全体を獲得し得るビジネスとなっていったことである。現在では,インターネット広告は広告主にとって投入費用対効果が明確な成果報酬型の広告メニューが存在するゆえに,従来SPや人的販売にかけていたコストの一部を割いて振り向けるだけの意味がある,魅力的なサービスとなっているのである。



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明らかになった課題(〜2000年)


 1990年代後半,インターネット広告ビジネスは本格化し,様々なパターンの広告商品メニューと課金モデルが次々に開発された。CD-ROMに保存された広告を表示する代わりにインターネットに一定の時間だけ無料で接続できるCD-ROM連動型サービス,あるいはインターネットに接続している間,別のウィンドウで広告を自動配信する代わりにプロバイダ料金(インターネット接続料金)を無料とするサービス「ハイパーシステム」などの他,インターネットを通じてニュースなどの情報と広告が自動的にパソコンへ送られてくるプッシュ型サービス「ポイントキャスト」,利用者が広告受領について事前に承諾し,その利用者が求める分野の広告メールを配信するオプトインサービスなど,様々な形式での広告配信の試みが広がった。


 これに伴い,インターネット広告市場は順調に拡大していった。前述した「日本の広告費」の各年版を参照すると,1996年に16億円であったわが国のインターネット広告媒体費は,1997年に60億円(前年比 375.0%),1998年は114億円(同190.0%),1999年は241億円(同211.4%),2000年には590億円(同244.8%)と,爆発的な伸びを見せた。


 しかしこの時期,一般的なインターネットへの接続形態は一般加入回線(電話回線)を利用したダイアルアップ接続であり,その利用環境は現在に比べて非常に貧弱なものであった。利用者側で画像がうまく表示されていない,表示に時間がかかるために利用者がデータ読み込み中に中断してしまうなど,広告データの伝達が不確実であったため,インターネット広告ビジネスの実務では,中断率,失敗率といった数値も指標として管理されていた[17]。また利用者側のセキュリティへの不安などを背景に,広告遮断ソフトウェアが登場し,一定の普及をみた。


 インターネット広告の利用が徐々に広まるにつれて,広告主にとって大きく2つの問題が生じ,当時のインターネット広告の課題が明らかになった。


 ひとつは,Webサイトの閲覧者側が,バナー広告を見慣れたことによって,バナー広告に対するいわば「耐性」のようなものが生まれ,その結果として,反応率すなわちクリック率が低下してきたことである(5)。


 この時期のポータルサイトは,検索機能などを提供することで大量のアクセスを獲得し,それを基に広告収入を拡大させるというビジネスモデルを構築していた。しかし,利用者は検索結果そのものに注目しているので,広告スペースはなかなか目に入らない。それに加えて検索サービスはその本質として,苦労して集めた利用者を検索結果に表示された他のWebサイトへと離脱させてしまうことになるという構造を持っていた。そこで各ポータルサイト運営企業は,さらなる利用者の定着を狙ってコミュニティ機能などのサービスを次々に投入していった。これは各ポータルサイトの総ページビューを拡大させることとなり,広告掲載が可能な媒体量(ページ数)は加速度的に増加していった。


 これらの動きの結果として,市場全体で分母となる広告露出数は劇的に増加していったが,分子であるクリック総数はそれに比例するほどまでは増えず,クリック率は大きく低下していった。こうした状況に伴って,実務面では広告の表示当たり販売単価の下落が進む一方,その広告効果に対する懐疑的な見方も現れ始めた[18]。


 またWebサイトごとに異なる媒体評価指標を用いるなど,広告の客観的価値が不明瞭であることも問題視されていた。


 2つ目の問題は,インターネット広告への期待が高まる一方で,当時,実際にその広告が到達する先は,全消費者のうちのごくわずかな限られた層でしかない,ということが再認識されてしまったことである。


 わが国のインターネット利用者は増え続け,1997年2月には572万人だったものが,1998年2月は1,010万人,1999年2月には1508万人[19]となり,順調に拡大を続けていった。しかし従来の概念による「広告」として見た場合インターネット広告は,マスメディア広告に比べて広告を掲載した媒体の到達率(リーチ)があまりにも低く,まだまだマスなメディアとは呼べなかった。


 またダイアルアップ接続は接続時間に応じて料金がかかる接続形態であり,利用者は必要最小限の接続時間で済ませようという意識が強かった。このため広告媒体として見た場合には,その接触時間の少なさも問題点として認識されていた。


 従来インターネット広告を出稿する広告主は,パソコンやソフトウェアなどインターネット利用者層をターゲットとする限られた業態が中心であった。しかしこの時期,マスメディアを広告の出稿先としていた自動車,化粧品,飲料などの業種の広告主が,インターネット広告に目を向け始めた。彼らにとっては,当時のインターネット利用者層は技術系サラリーマン層の割合があまりにも高く,自分たちの事業でターゲットとしているような女性や若者の利用者が足りないと感じられた。


 したがってこの時期のインターネット広告は,一般消費財関連企業を中心とした従来の「広告」関係者からは,広告媒体としての活用よりも,世の中の動きに乗り遅れないための実験を行うフィールドという形での使われ方が主となっていた。

(5)調査会社ネットレイティングスによる2001年の発表データをもとに,「バナー広告のクリック率は0.2%程度とどんどん低下している」とする記録[23]がある他,2001年に著された論文には「バナー広告の標準的なクリック率は0.03%前後であり,初期の10%という高い割合から著しく減少している」との記述[29]もある。

  • 参考文献

[17]正田達夫:『インターネット・バナー広告の可能性と課題』吉田秀雄記念事業財団,pp.16-17, (1998).
[18]中濟光昭:『インターネット広告の技術的展開』,『駒澤大学経済学論集』,第33巻第1・2合併号,p.37,(2001).
[19]日本インターネット協会編:『インターネット白書’99』インプレス,pp.28-29, (1999).
[23]新井範子,北川和裕:『インターネットにおける情報個別提示の有効性 −オントロジーを用いた『意味』によるパーソナライゼーションの展開−』吉田秀雄記念事業財団,pp.14-17, (2003).
[29]中濟,前掲書,p.29.



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インターネット広告の特徴


 従来のマスメディア広告の延長線上の思考で発展していったインターネット広告であるが,従来の広告にはない新たな特徴を備えていた。それはハイパーリンクが活用できる点である。広告接触者は広告をクリックすることで,その広告に関してより詳細な情報を記したWebサイトや広告主のWebサイトなどを閲覧することができる。広告主から見た場合には,ハイパーリンクという特性を活かしてクリックを促すことによって,資料請求や商品購入ページなどに消費者を直接誘導することができるという従来の広告にない機能を手に入れることとなった。これが先に述べた「インタラクティブメディアとしての価値」と呼ばれたものである。さらに双方向メディアであるインターネットは,広告のクリック数によってその効果が明確に把握できる,という独自の特徴を備えていた。


 インターネットを使った航空券予約や書籍販売などのビジネスで成功例が出始め,インターネット広告が広がり始めた1997年,木村達也が著した「日本におけるオンライン広告の現状と課題」と題する論文では,インターネット広告は「そのとらえ方によってマス・メディア,ターゲット・メディア,インターラクティブ・メディアのいずれにも当てはめることができる」[13]とされた。またバナー広告は,新しいブランドを構築したりするには向いておらず「新たなオンライン・メディアにおいてブランドをさらに拡張するために用いるべきである」[14]と述べている。つまり,マスメディア広告などの活動により構築された既存ブランドをインターネット上で展開する際のツールが,バナー広告であると考えたのである。


 1999年に著された論文の中では,当時のインターネット広告の定義の一つとして,アメリカのインターネット広告・マーケティング会社「ゼフグループ(The Zeff Group)」による「インターネット広告とは,広告対象となる商品やサービスのブランドを知覚させることに主な焦点を当てている既存の広告と,実際の販売に結び付けていこうとするダイレクト・マーケティング・コミュニケーションの領域の交わったものである」とする定義が紹介されている[15]。ここではインターネット広告は,インプレッション効果による認知獲得とレスポンス効果による購買誘導,両方の効果を生み出すハイブリッド型広告であるとされているのである。


 またわが国で2000年に発行された実務書においても同様に,インターネット広告の特質を以下の通り説明している。

 「もちろん,インターネット広告にも,通常のメディアが持っているような「メッセージを消費者に伝えるという告知機能」はあるが,それに加えて,『広告を見て関心を持った消費者のレスポンスを,その場でダイレクトに喚起することができる』という新しい付加価値を備えていることが特徴だ」[16]


 媒体のスペースを広告枠として販売するという従来型広告の特性を象徴する形でインターネット上に登場したバナー広告は,テレビや新聞と同様に,媒体に接触してくる人を待ち構える形態の広告である。この点では,閲覧者が与えられる情報を一方的に受容するというメディア接触スタイルを前提とした従来型広告のひとつである。


 だがここまで見てきた通り,バナー広告には新たな特徴があった。バナー広告は露出し閲覧させることだけを目的とするのではなく,クリックという行動を利用者に促すことになったことで,従来の広告とは違う,新しい広告への第一歩を踏み出すこととなった。


 インターネットは,自らの関心に合わせて情報を探索する能動的利用スタイルが中心となるため,同じ興味を持つ人々,特定の属性を持つ人たちが集まるようなWebサイトが生まれやすかった。したがって広告主にとっては,従来のマスメディア広告に比べて,広告露出をその効果が高い層へと絞り込むターゲティングが容易であった。またネットショッピングの普及により,広告する商品やサービスに対して関心や購入意欲が高い人々に対しての接触が可能となった。さらにインターネットでは,そのインタラクティブ性を活かすことで,広告に対するレスポンスをクリック数という形でコストをかけず即時に測定できる。


 これらの利点もあって,インターネット広告における広告主の期待は,インプレッション効果だけでなくレスポンス効果へと拡大していくことになる。

  • 参考文献

[13]木村達也:『日本におけるオンライン広告の現状と課題』吉田秀雄記念事業財団,p.16, (1998).
[14]同上,p.29.
[15]川辺なおり:『インターネット広告のコミュニケーションに関する研究 −広告コミュニケーションと受け手の特徴−』吉田秀雄記念事業財団,pp.5-6, (2000).
[16]インターネット・マーケティング研究会,村田誠,菅野龍彦,原野守弘:『インターネット広告2000』ソフトバンク パブリッシング,p.112, (2000).



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マスメディア広告モデルの適用


 新たな広告媒体としてのインターネットに着目した広告代理店は,従来のマスメディアにおける広告のビジネスモデルをインターネットにも適用させようした。その展開においては,当時の広告業界にとって理解しやすい,バナー広告をその代表とするディスプレイ型広告を,インターネット広告のモデルとしたのである。


 当時の様子を当事者の一人であった電通の長澤秀行(当時,サイバー・コミュニケーションズ社長)は,後に以下の通り述べている。

 「電通のネット事業の歴史は,日本のネット広告の歴史とほぼイコールなんです。 11年前の1996年4月にヤフーが立ち上がった時,僕たちはソフトバンクの孫(正義社長)さんたちと一緒にネット広告の専門会社を作った。ほとんどの人がブラウザーすら見たことがない時代ですよ」

 「そこから電通が率先して,バナー広告のサイズから料金体系までネット広告市場の基礎を作ってきた。テレビや新聞の広告を作っている人間が,見よう見まねでホームページを作り始めてね。時間がかかったし,苦労もいろいろとあったんです。でも,苦労があったからこそ,日本のネット広告はここまで発展したんだと思います」[10]


 媒体の中に広告を掲載するための販売用スペースを規定し,その枠を広告代理店が確保する。広告代理店が広告主へのセールスを行い,スペースを埋める広告を集めてくる。まさに広告代理店主導による,インターネット広告市場へのマスメディア広告モデルの適用が成立したのである。


 このような動きは,当時のインターネット広告の効果のとらえ方にも,色濃く反映されている。日本広告主協会のディジタルメディア委員会が1997年から1998年にかけて行ったバナー広告の効果検証実験の結果として導き出したインターネット広告の価値は,「マスメディアとしての価値」と「インタラクティブメディアとしての価値」であると整理されている。マスメディアとしての価値は,「バナー視聴価値」であるとされ,具体的には以下のようなものであるとしている。

 「バナー広告には,広告主企業の指定する任意の情報が含まれる。これはバナー広告の掲出が,視聴者が企業のロゴ,商品名,広告コピー,画像等を視聴することを意味するため,一定の広告効果を期待できることは明らかである。そして一般にバナー掲出は不特定多数に対して行われるものであり,ここで期待される広告価値は,いわゆるマスメディアの広告価値と同様の性質を有するものであるということができる」[11]


 この当時,バナー広告は見られるだけで広告効果があり,その効果は,少なくとも屋外広告や交通広告などの看板広告と比較できるレベルのものであると考えられていたことが分かる。


 こうした「バナー視聴価値」を認めるならば,ポータルサイトに掲載されたバナー広告は,アクセスしたWebサイトに偶然バナー広告があったというような受動的接触であっても,インプレッション効果によりWebサイト利用者からの認知が得られるとなるところであろう。しかし,固有の目的を持って当該Webサイトにアクセスしている利用者にとっては,そのバナー広告は単に同一平面上に存在しているに過ぎず,自ら選択して受容しない限り認知され得ないと考えられる。


 実際,1998年にインターネット利用者に対して行われた「クリックしたくなるバナー広告について」を問う調査(インプレスA&D実施)では,「プレゼント付きの広告」が67%で第1位となっている[12]。このように,懸賞などの明確なインセンティブ(誘因)とセットでなければ,媒体接触者の関心を引くことが難しいというのが,この時期のインターネット広告の実態であった。


 さらにインターネット広告は,そもそも広告が掲載されているWebサイトに自ら主体的にアクセスしてきた人に対してしか露出できない,つまり,媒体利用者の能動的接触を待つ必要があるという弱点があった。


 その一方で,先の実験においてもう一つ認められた効果,「インタラクティブメディアとしての価値」こそが,インターネット広告の最大の特徴なのである。

  • 参考文献

[10]日経BP編:『グーグルに負けない(第2特集 電通が挑むメディア総力戦)』,日経ビジネス,2007年5月14日号,pp.52-53, (2007).
[11]社団法人日本広告主協会 ディジタルメディア委員会編:『インターネットバナー広告効果検証実験レポート』,p.54,(1998).
[12]日本インターネット協会編:『インターネット白書’98』インプレス,p.95, (1998).



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当時の広告ビジネスにおける行動原理


 わが国の広告代理店は,テレビ放送開始時に「電通」が果たした役割に見られるように,新しいメディアの立ち上げに関与し,その中でより良い広告スペース,広告枠を確保することが,ビジネスにおける勝利につながる(4)という認識があった。


 1980年代後半にはバブル景気と歩調をあわせて,わが国における広告ビジネスも活況を呈した。総広告費も右肩上がりとなり,広告出稿のニーズに対してむしろ広告を掲載する媒体が不足気味であるという認識が生まれた。このことから,広告の掲載が可能となる媒体開発の優先順位が上がり,1990年代にかけて雑誌の新創刊,CATVや衛星放送といったニューメディア広告の開発が急激に進んだ。


 こうした事業環境を背景とする中で,Webサイト上に広告のための販売用スペースが目に見える形となって確保されているバナー広告は,良いスペースや枠を確保することを行動原理としていた,わが国の広告代理店の志向にうまく適合した。バナー広告が出現したことによって,わが国では既存の広告代理店主導によるインターネット広告ビジネスの本格展開がスタートすることになったのである。

(4)中瀬寿一:『日本広告産業発達史研究』法律文化社,(1968)の「第三章 戦後における広告産業の本格的成立」や,永井龍男:『この人 吉田秀雄(文春文庫)』文藝春秋,(1987)などに詳しい。



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