明らかになった課題(〜2000年)


 1990年代後半,インターネット広告ビジネスは本格化し,様々なパターンの広告商品メニューと課金モデルが次々に開発された。CD-ROMに保存された広告を表示する代わりにインターネットに一定の時間だけ無料で接続できるCD-ROM連動型サービス,あるいはインターネットに接続している間,別のウィンドウで広告を自動配信する代わりにプロバイダ料金(インターネット接続料金)を無料とするサービス「ハイパーシステム」などの他,インターネットを通じてニュースなどの情報と広告が自動的にパソコンへ送られてくるプッシュ型サービス「ポイントキャスト」,利用者が広告受領について事前に承諾し,その利用者が求める分野の広告メールを配信するオプトインサービスなど,様々な形式での広告配信の試みが広がった。


 これに伴い,インターネット広告市場は順調に拡大していった。前述した「日本の広告費」の各年版を参照すると,1996年に16億円であったわが国のインターネット広告媒体費は,1997年に60億円(前年比 375.0%),1998年は114億円(同190.0%),1999年は241億円(同211.4%),2000年には590億円(同244.8%)と,爆発的な伸びを見せた。


 しかしこの時期,一般的なインターネットへの接続形態は一般加入回線(電話回線)を利用したダイアルアップ接続であり,その利用環境は現在に比べて非常に貧弱なものであった。利用者側で画像がうまく表示されていない,表示に時間がかかるために利用者がデータ読み込み中に中断してしまうなど,広告データの伝達が不確実であったため,インターネット広告ビジネスの実務では,中断率,失敗率といった数値も指標として管理されていた[17]。また利用者側のセキュリティへの不安などを背景に,広告遮断ソフトウェアが登場し,一定の普及をみた。


 インターネット広告の利用が徐々に広まるにつれて,広告主にとって大きく2つの問題が生じ,当時のインターネット広告の課題が明らかになった。


 ひとつは,Webサイトの閲覧者側が,バナー広告を見慣れたことによって,バナー広告に対するいわば「耐性」のようなものが生まれ,その結果として,反応率すなわちクリック率が低下してきたことである(5)。


 この時期のポータルサイトは,検索機能などを提供することで大量のアクセスを獲得し,それを基に広告収入を拡大させるというビジネスモデルを構築していた。しかし,利用者は検索結果そのものに注目しているので,広告スペースはなかなか目に入らない。それに加えて検索サービスはその本質として,苦労して集めた利用者を検索結果に表示された他のWebサイトへと離脱させてしまうことになるという構造を持っていた。そこで各ポータルサイト運営企業は,さらなる利用者の定着を狙ってコミュニティ機能などのサービスを次々に投入していった。これは各ポータルサイトの総ページビューを拡大させることとなり,広告掲載が可能な媒体量(ページ数)は加速度的に増加していった。


 これらの動きの結果として,市場全体で分母となる広告露出数は劇的に増加していったが,分子であるクリック総数はそれに比例するほどまでは増えず,クリック率は大きく低下していった。こうした状況に伴って,実務面では広告の表示当たり販売単価の下落が進む一方,その広告効果に対する懐疑的な見方も現れ始めた[18]。


 またWebサイトごとに異なる媒体評価指標を用いるなど,広告の客観的価値が不明瞭であることも問題視されていた。


 2つ目の問題は,インターネット広告への期待が高まる一方で,当時,実際にその広告が到達する先は,全消費者のうちのごくわずかな限られた層でしかない,ということが再認識されてしまったことである。


 わが国のインターネット利用者は増え続け,1997年2月には572万人だったものが,1998年2月は1,010万人,1999年2月には1508万人[19]となり,順調に拡大を続けていった。しかし従来の概念による「広告」として見た場合インターネット広告は,マスメディア広告に比べて広告を掲載した媒体の到達率(リーチ)があまりにも低く,まだまだマスなメディアとは呼べなかった。


 またダイアルアップ接続は接続時間に応じて料金がかかる接続形態であり,利用者は必要最小限の接続時間で済ませようという意識が強かった。このため広告媒体として見た場合には,その接触時間の少なさも問題点として認識されていた。


 従来インターネット広告を出稿する広告主は,パソコンやソフトウェアなどインターネット利用者層をターゲットとする限られた業態が中心であった。しかしこの時期,マスメディアを広告の出稿先としていた自動車,化粧品,飲料などの業種の広告主が,インターネット広告に目を向け始めた。彼らにとっては,当時のインターネット利用者層は技術系サラリーマン層の割合があまりにも高く,自分たちの事業でターゲットとしているような女性や若者の利用者が足りないと感じられた。


 したがってこの時期のインターネット広告は,一般消費財関連企業を中心とした従来の「広告」関係者からは,広告媒体としての活用よりも,世の中の動きに乗り遅れないための実験を行うフィールドという形での使われ方が主となっていた。

(5)調査会社ネットレイティングスによる2001年の発表データをもとに,「バナー広告のクリック率は0.2%程度とどんどん低下している」とする記録[23]がある他,2001年に著された論文には「バナー広告の標準的なクリック率は0.03%前後であり,初期の10%という高い割合から著しく減少している」との記述[29]もある。

  • 参考文献

[17]正田達夫:『インターネット・バナー広告の可能性と課題』吉田秀雄記念事業財団,pp.16-17, (1998).
[18]中濟光昭:『インターネット広告の技術的展開』,『駒澤大学経済学論集』,第33巻第1・2合併号,p.37,(2001).
[19]日本インターネット協会編:『インターネット白書’99』インプレス,pp.28-29, (1999).
[23]新井範子,北川和裕:『インターネットにおける情報個別提示の有効性 −オントロジーを用いた『意味』によるパーソナライゼーションの展開−』吉田秀雄記念事業財団,pp.14-17, (2003).
[29]中濟,前掲書,p.29.



目次および出典