バナー広告の誕生


 1993年,「モザイク(Mosaic)」という名のインターネットブラウザが開発され,Webサイトの文書と画像を,パソコンの同一画面上に表示させて閲覧することが可能となった。現在まで続くWebサイト利用スタイルの始まりである。同時にインターネットの商用利用が進み,様々なWebサイトが立ち上り始めた。


 アメリカの雑誌ワイアード(Wired)が,1994年10月27日Webマガジン「ホットワイアード」を公開し,その中で世界初の画像形式のバナー広告が誕生した。このWebサイトでは,雑誌と同様の広告ビジネスモデルの構築を目指して広告の販売活動を行ったのである[2]。


 わが国では1996年4月,商用検索サイト「Yahoo! JAPAN」がサービスを開始,6月には「電通」と「ソフトバンク」の合弁によるインターネット広告を専門に扱う広告代理店「サイバー・コミュニケーションズ」が設立され,7月から「Yahoo! JAPAN」のバナー広告の取り扱いを開始した。その後,「インフォシーク」,「goo」などの検索サイトを始め,朝日新聞日本経済新聞などのWebサイトがサービスを開始し,あわせて広告の取り扱いを開始した。

  • 参考文献

[2]Robbin Zeff,Brad Aronson(西和彦訳):『インターネット広告論』流通科学大学出版,pp.14-15, (2001).



目次および出典

インターネット以前のデジタル広告


 インターネット広告が誕生する1994年以前に存在したデジタルメディアにおいて,広告掲載はどの程度行われていたのであろうか。


 インターネット時代が訪れる以前,アメリカではコンピュサーブ(CompuServe),AOL,わが国ではニフティサーブPC-VANなど多くの事業者が,パソコン通信サービスを提供していた。しかし,商用データベースへの接続サービスなどをその起源とし,接続時間や転送データ量に応じて課金するようなビジネス形態を採る各社は,自社のサービスに広告を組み込むことについては概して消極的であった。唯一,アメリカのプロディジーProdigy)だけが1990年に収益源の一つとして広告を取り入れ,この分野に取り組んだ[2]ものの,他事業者は追随せず,アメリカにおいてオンライン広告の販売が本格的に始まるのは1995年以降のこととなった。


 わが国のパソコン通信に関する記録を見ると,フリーテーマの掲示板などにおいて,「ソフト売ります」「ビデオ売ります」といった類の,情報発信源が明らかでなくやや信憑性に乏しい告知文を中心に,売買などを募る文字広告が数多く掲載されていたことが分かる(3)。これは街の掲示板やローカル雑誌,広報誌,新聞などのいわゆる「三行広告」と呼ばれるような案内広告スペースに掲載される「売ります・買います」広告の延長線上ととらえることができる。


 これらは「クラシファイド広告」と呼ばれ,その後も新聞やフリーペーパーなどの紙媒体に掲載されるのが常であったが,現在ではアメリカを拠点に世界展開を進めている「Kijiji」を始め,インターネット上のサービスとしても広く展開されている。そのサービスの浸透により現在,特にアメリカにおいて新聞紙面上のクラシファイド広告の需要が大きく奪われる状況となっている。

(3)『PC-VAN:広告利用記録』(1998.5.24),
(http://kh.sagesword.com/page2/6p2.html),2009年10月1日取得,などに当時のログとともにその記録が残されている。

  • 参考文献

[2]Robbin Zeff,Brad Aronson(西和彦訳):『インターネット広告論』流通科学大学出版,pp.14-15, (2001).



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広告の機能とその効果


 広告の機能と効果については,マクロ・ミクロ多様な視点により様々なとらえ方ができ,既に多くの研究がなされている。一般的には,情報の送り手である広告主にとって,伝達機能による製品などに関する情報の提供,説得機能によるニーズの顕在化や行動意図の形成,意味づけ機能によるブランド構築などの効果があるとされる[9]。


 インターネット広告の分析においては,広告露出によって広告接触者の認知・理解・好意を獲得する「インプレッション効果」と,広告接触によって何らかの具体的な反応が得られる「レスポンス効果」の大きく分けて2つの効果があるとする理解が,今日では一般的である(2)。なぜ,そのように認識されるに至ったかについては,以下に論を進めるインターネット広告の歴史的変遷が大きく関わっている。

(2)インターネット広告の実務書では,本稿において「レスポンス効果」とした機能のうち,クリックによってWebサイトへと誘引する効果を「レスポンス効果」,その後購入などの行動を促進する効果を「アクション効果」とするもの[27],Webサイトへ誘導する効果を「トラフィック効果」,購入などの反応を得ることを「レスポンス効果」とするもの[28]などがある。

  • 参考文献

[9]岸志津江,田中洋,嶋村和恵:『現代広告論 新版』有斐閣,pp18-19, (2008).
[27]株式会社日本総合研究所,紅瀬雄太,足代訓史:『ビジネスの新常識 ネット広告のすべて』ディー・アート社,pp.110-112,(2006).
[28]デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社編:『ネット広告ハンドブック』日本能率協会マネジメントセンター,pp.186-195, (2009).



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広告の分類


 広告は,一般にプロモーション(販売促進)活動の一部であるとされる。販売促進という用語の定義について,清水公一は以下の通り述べている。

 「販売促進には広義と狭義があり,広義の場合はプロモーションといい,狭義の場合はセールス・プロモーションという。したがって,プロモーション・ミックス要因には人的販売促進,非人的販売促進(広告),狭義の販売促進(セールス・プロモーション)があるというのが定説である」[5](括弧内筆者)


 すなわち販売促進の要素には,人的販売,広告,セールス・プロモーション(SP)があるとしており,SPについては「広告ならびに人的販売を補足しそれらの活動をいっそう効果的にする活動である」[5]という定義をあわせて紹介している。亀井明宏らは,広告とSPの相違点を以下の通り説明している。

 「『広告』がメッセージによって展開されるものであるのに対して,『プロモーション』ないし『(狭義の)販売促進』は基本的にメッセージ以外のモノ,サービスあるいは金銭といった要素を手段として展開されるという点で,明確に区分可能なものとされている」[6](括弧内筆者)


 これらの認識を背景に,わが国で広告は,「マスメディア広告」と「SP広告」という分類がなされる。マスメディア広告とは新聞,雑誌,ラジオ,テレビのマスメディア4媒体において,不特定多数に向けて展開される広告である。一方SP広告は,狭義の販売促進活動と不可分であるような広告を指し,特定された消費者に対して購買や行動を直接的に促す広告である。ただし,実務上マスメディア広告とSP広告とは,使用される媒体によって区分されているのが実態であり,屋外広告,交通広告,折込広告,DM広告,POP広告などがSP広告と呼ばれる。


 SP広告で使われる媒体を,狭義の販売促進活動と重複して使われることが多い媒体ととらえるのか,あるいは単にマスメディア4媒体以外の媒体として括るのかによって,インターネット広告の位置付けのとらえ方は異なってくる。


 インターネット広告については従来,統計上SP広告に含める場合と,マスメディア広告でもSP広告でもない,全く別のものと考える場合とがあった[7]。わが国の広告会社電通による「日本の広告費」では,総広告費の推定にあたって,その範囲を以下の通り規定している。

  1. マスコミ4媒体広告費:新聞,雑誌,ラジオ,テレビのマスコミ4媒体に投下された広告費
  2. 衛星メディア関連広告費:衛星放送,CATV,文字放送などに投下された広告費(媒体費および番組制作費)
  3. インターネット広告費:インターネットサイト上の広告掲載費(モバイル広告を含む)および広告制作費(バナー広告等の制作費および企業ホームページの内,商品やサービスのキャンペーン関連の制作費)
  4. プロモーションメディア広告費(屋外,交通,折込,DM,フリーペーパー,フリーマガジン,POP,電話帳,展示,映像他)


 これが現在実務界での一般的な広告の範囲と分類の定義である。また「日本の広告費」では,その2007年の改訂で,SP広告費の呼称をプロモーションメディア広告費に変更するとともに,大区分の表記順を変更している。それ以前は,マスコミ4媒体広告費,SP広告費,衛星メディア関連広告費,インターネット広告費の4項目であり,この順序で記述されていた。


 当初,衛星放送やインターネットなど新しいメディアでの広告は,「広告=マスメディア広告+SP広告」という世界観の外側に,その他広告として順に付け加えられていった。2007年に至って,それら新しい広告の位置付けが,マスメディア広告とSP広告の中間に位置するものと再定義されたと読み取ることができる。


 また「日本の広告費」の2007年改訂では,インターネット広告費の推定にあたって,従来の媒体費に加えて広告制作費を追加した。この広告制作費には,バナー広告等の制作費だけでなく企業ホームページの内,商品やサービスのキャンペーン関連の制作費までもが含まれている。インターネット広告は,狭義には媒体スペースを購入する広告であるが,定義によっては,自社Webサイトを通じた情報発信をインターネット広告の一部として含める場合すらある[8]。このように,インターネット広告は,広告という名を冠しながらも,その範囲と定義は今日でも流動的であり,曖昧なままである。

  • 参考文献

[5]清水公一:『広告の理論と戦略(第14版)』創成社,p.72,(2005).
[6]亀井明宏,疋田聰:『新広告論』日経広告研究所,p.23,(2005)
[7]株式会社日本総合研究所,紅瀬雄太,足代訓史:『ビジネスの新常識 ネット広告のすべて』ディー・アート社,p.18,(2006).
[8]同上,p.23.



目次および出典

広告の定義


 学術的に広告の定義は様々である。まず,わが国の代表的な広告研究者の一人である清水公一による定義を以下に挙げる。

 「広告とは企業や非営利組織または個人としての広告主が,自己の利益および社会的利益の増大化を目的とし,管理可能な非人的媒体を使って,選択された生活者や使用者に,商品,サービス,またはアイディアを,広告主を明確にして告知し説得するコミュニケーション活動である」[3]


 ここでは,広告を掲載するメディアを「管理可能な非人的媒体」としている点に着目したい。一方,アメリカ・マーケティング協会(American Marketing Association,以下AMA)では,「Advertising」を「any paid form of non personal presentation and promotion of ideas, goods or services by an identified sponsor」と定義している。広告で用いるメディアについて,清水が「管理可能な」としている部分を,AMAでは「paid form(有料形態で)」としており,清水の定義に比べてより限定的にとらえている。わが国では,折込チラシやダイレクトメール(DM)なども「広告」と呼ぶように,広告という言葉でとらえる活動の範囲がアメリカよりもやや広いことが,ここに反映されている。一方,AMAの定義においては媒体のスペース,枠を有料で購入するという点が明確になっている。


 わが国でも実務界においては,「広告」と,媒体への支払いが発生しない「広報」とを区別する必要性という観点もあって,広告は,広告主が他者の持つ媒体上に確保された広告スペースを購入し,自らのコンテンツを出稿する活動をさすものとされることが一般的である。本稿においても,その考えに基づいて論を進める。


 またわが国における広告代理業の歴史は,明治時代の新聞発行において,広告スペースを商人に売ることで記事収集に要する経費を補うにあたって,その媒体スペースを販売する代理店が必要とされたことに始まるとされる[4]。それ以来,わが国における広告ビジネスの展開においては,広告代理店が深く関与し続けることとなる。それはインターネット広告においても同様であった。

  • 参考文献

[3]清水公一:『広告の理論と戦略(第14版)』創成社,p.8,(2005).
[4]同上,pp.47-48.



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問題へのアプローチ方法


 インターネット広告に関する研究は,その広告効果に関するものが中心で,インターネット広告の歴史的変遷に着目した研究はほとんど見られない。


 本研究においては,わが国におけるインターネット広告の登場以降の変遷を追うことで,インターネット広告という「新しい広告」の受容過程を明らかにするとともに,社会がインターネット広告に求めてきたものを明らかにしていく。


 このことを通じて,広告におけるインターネット広告の位置づけを浮き彫りにするとともに,その限界を明らかにする。副次的には,インターネットがメディアとして受容され,普及していった過程が明らかになると考える。


 世界初のインターネット広告は1994年10月に誕生したとされ[2],わが国でも1996年4月に開設された「Yahoo! JAPAN」が,バナー広告の取り扱いを開始した。それ以降のわが国におけるインターネット広告の諸様態,ビジネスモデル,クリエイティブの変遷などを検証し,インターネット広告の歴史を概観する。その上で特徴的な新しい広告メニューを取り上げ,それぞれが登場したことの社会的,技術的背景について,先行諸研究もふまえた多角的な分析を行う。それぞれの新しい広告スタイルがどのようにして生まれ,その後どう衰退していったか,なぜ他のものに取って代わられたのかを検討する。


 また歴史的変遷を正しくとらえるために,それぞれの時代おいてインターネット広告はどういう効果があると認識されていたのか,そしてその評価は時代を追ってどのように変遷していったのかを,過去の文献や論文から把握する。具体的には,学術的な研究成果だけでなく,実務界で行われた実証実験の報告書や,民間調査会社の調査レポート,実務者向けの手引書などの資料にもあたり,そこからその時代ごとのインターネット広告に対する認識や解釈を抽出していく。


 本稿においては,主にパソコンで閲覧するWebサイト上に掲載される広告をその検討の対象とし,メール広告,携帯電話を対象としたモバイル広告アフィリエイト・プログラム等は最低限必要な範囲での言及に留めることとする。

  • 参考文献

[2]Robbin Zeff,Brad Aronson(西和彦訳):『インターネット広告論』流通科学大学出版,pp.14-15, (2001).



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本研究の背景と目的


 2008年1-12月の日本の総広告費は66,926億円,前年比95.3%と5年ぶりの減少となった一方で,インターネット広告費(媒体費および広告制作費)は,前年比116.3%の6,983億円となり,総広告費における構成比も10.4%と遂に1割を超えた[1]。インターネット広告と言えば,Webサイトに看板のような形状の画像を貼り付けた「バナー広告」がその代名詞であった時代から,現在は検索サイトで検索結果に連動して表示される「検索連動型広告」が主流になりつつある。


 その間には,広告用の小さなウィンドウを強制表示する「ポップアップ広告」やテレビと同様の動画広告を配信する「インターネットCM」など,様々な広告スタイルが登場してきた。これらの新しい広告メニューの中には,技術的に可能になったことによって鳴り物入りで登場したものの,結果的には利用者に受容されず衰退していったケースも多くあった。


 インターネット広告は,情報発信側やその受け手のニーズ,あるいは介在する媒体を保有する企業や広告会社のニーズなどに絶えず影響を受け,その姿を日々少しずつ変えており,変化を続けている。言い換えれば,常に社会から影響を受け,社会に影響を与えている。そこでインターネットにおける広告の歴史的変遷を研究することを通じて,インターネットがどのようにして社会に受容されてきたかを検証していきたい。 


インターネットの世界は変化のスピードが速く,そのスピードを,人間の7倍の速さで年をとるとされる犬になぞらえて「ドッグイヤー」と呼んだ時期があった。そう考えると,わずか十数年の歴史しかないインターネット広告であっても,その歴史的変遷を振り返り,改めて検証すべき時期が訪れていると考えられよう。


 わが国におけるインターネット広告は,バナー広告を代表とする「ディスプレイ型広告」が中心となって発展してきた。ディスプレイ型広告とは従来,新聞や雑誌などの紙媒体において,絵や写真を用いて構成されるビジュアルな広告のことをそう呼んだもので,インターネット広告では画像などを利用する広告全般をさすようになった。


 しかしここ数年は,検索サイトで検索キーワードに関連の深い広告を表示させることができる検索連動型広告が急成長を遂げている。検索連動型広告の多くは,広告の表示回数ではなく,広告がクリックされた回数に応じて料金が決まるしくみをとっている。広告主が広告の費用対効果を重視する流れが強まり,検索連動型広告は急成長する一方で,ディスプレイ型広告に投じられる広告費の伸びは鈍化している。


 2008年のインターネット広告媒体費5,373億円の内訳を見ると,検索連動型広告が1,575億円(前年比122.9%)を占める。これは他の広告に比べてかなり高い伸長率であるとともに,インターネット広告全体における検索連動型広告の構成比も29.3%まで上昇してきている[1]。インターネット広告において,検索連動型広告の占める割合が高まりつつあるのは,先進国共通の傾向でもある(1)。


 検索連動型広告は文字だけの表現で構成される場合が多く,ディスプレイ型広告とは対照的なビジュアルであるが,受け手からのレスポンス(問い合わせや注文など)を直接受け付けることを目的とする「レスポンス広告」として,その効果を最大に発揮する点が特徴である。


 詳細は第3節で述べるが,実務界では,従来のマスメディア広告のビジネスモデルを,インターネット広告にも適用しようとし続けてきた。その流れの象徴とも言えるのがディスプレイ型広告である。しかし,先に述べたインターネット広告費の内訳の変化に見られるように,従来主流であったディスプレイ型広告は明らかに衰退の方向にあり,徐々に検索連動型広告のようなレスポンス広告が,社会に受容されつつある。


 このことは,インターネット利用が日常化した今日に至って,いよいよ本来インターネット広告に求められるべきものが明らかになってきた,ととらえることができるのではなかろうか。


 そう考えると,本来インターネット広告は構造的にレスポンス広告であって,ブランドイメージの認知や記憶を目的とする「ブランド広告」のような,ディスプレイ型広告が得意とする領域には適していない,ということを意味するのではなかろうか。


 この仮説をインターネット広告の歴史研究を通じて検証していきたい。またもしそうだとするならば,まさにディスプレイ型広告そのものであるバナー広告は,なぜこれほどまでの普及をみたのか,そこにはどういった社会的背景があったのかを,本稿では論じていく。

(1)一例として,カナダにおけるオンライン広告は,2004年にはディスプレイ型広告が52%,検索連動型広告が30%という構成比であったが,2008年にはそれぞれ31%,38%へと大きく変化している。
IAB Canada,「2008 Actual + 2009 Estimated Canadian Online Advertising Revenue Survey DETAILED REPORT」(2009.7.28),
http://www.iabcanada.com/reports/IABCanada_2008Act2009Budg_CdnOnlineAdRev_FINAL.pdf),p.9,2009年10月1日取得。

  • 参考文献

[1]株式会社電通編:『日本の広告費 2008年』,pp.6-15, (2009).



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