学会誌に論文が載った。けど、

修士論文を学会誌に投稿して、一応採録された。*1


査読の段階でいろいろ言われたことは、
ふーん、それが学術の世界のお作法なのね、
ということで、まぁ、理解は出来たけど。


今さらこういう世界に入っていくのはメンドクサイな。
おいらは実務の世界でがんばろう!
という決意を固めさせてくれる経験となった。


まあ掲載までにも、いろいろとありまして、
なんだか知らないけど、
2回に分割されて掲載されることになってるし、
(なので、次の号が出ないと、論文が完結しない・・・)


科学技術振興機構の文献DB上では、オイラの論文に、
全く意味不明な妙録が知らぬ間にくっついてるし、
(オレは一度も見ていないし、そもそも日本語になっていない
 そんな妙録を勝手につけるのが、この世界の常識なの??)
と、まぁ、とても気に入らないことが、数多くあったりして。



でもそんなことより、
今、困っていることは、仲間がいないこと。
今回、査読していただいた先生方も、
内容について議論が出来る相手ではなさそうだった。


インターネットの歴史、起源については、
既に、様々な研究成果が発表されているし、
例えば、喜多千草先生なんて、すごい本を出されてる。


インターネットの思想史

インターネットの思想史


起源のインターネット

起源のインターネット


テレビ研究や、CM研究の領域でも、
面白い取り組みをされている方々がたくさんおられる。


テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代

テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代


テレビ・コマーシャルの考古学―昭和30年代のメディアと文化―

テレビ・コマーシャルの考古学―昭和30年代のメディアと文化―



ワタシが関心を持っているのは、
インターネットの技術史ではなくて、
インターネットを、どう活用しようとしてきたかという歴史。
そしてその結果生まれてきたコンテンツたちの歴史。


そこでまずは、
インターネット広告の歴史をひとつの切り口にして、
インターネットビジネスの歴史的変遷を把握したい。
そう思ったんだなぁ。


最新のビジネス動向を追いかけることは、
過去にも、今も、仕事で散々やっている。
だけど、現在を追い続けると情報過多に陥って、
思考停止状態になるし、
そもそも最新情報の一時的な価値は、すぐに陳腐化してしまう。


っつーことは結局、みんな時代を追っているだけで、
過去の知見が蓄積されず流れて消えていってしまっているのが、
ネットビジネスの実態なわけで。


技術は変わっても、
メディアの社会的価値はそう簡単には変わらない。
インターネットがメディアとして「制度化」されてきたのは、
いかなる社会的要請によるものか。


そもそもこのメディアは何のためにあって、
(ネットを、安易にメディアと呼んではいけないですかね)
どんな価値があり、その価値最大化を阻害しているものは何か。


そして、社会にどんな影響を与え、
社会の姿をどんな風に変えてきたのか。


それを知るために、インターネットの動態を歴史的に捉え直し、
自分なりのインターネット史観を確立したい。
歴史を知ることを通じて、将来を展望したい。


というのが、ワタシの研究の動機なのです・・・。
だれかお友達になりませんか・・・?